親の四十九日に
お勤めが終わると、故人の息子さんが、しっかりとご挨拶されました。
これまでのお父さんの前では、口を開かれた事は一度も有りませんでした。
私はその光景をみて、私のお寺でお話されていた、先生の言葉を思い出しました。
その先生は、以前ホームレスをされていたそうです。
ある日、公園のベンチに座っていると、後ろから肩を叩く人がいました。
大学の恩師でした。「きみ、数年遠いところで勉強して、また戻って来てくれないか?」
それで、鹿児島県の甑島(こしきじま)に行って、仏教の学習を毎日されました。
「乞食をしていた私が甑島(こしきじま)に行きました。」と笑わされました。
最初は村人から、何者か来たのか?と不審がられていました。
少しずつ慣れて村人から、食物などの差し入れをいただくようになりました。
ある日村人に島を案内されました。
シダの木が、整然と並んでます。
それが2段になっていました。
「大きいのと小さいのがあるのは、どういうことですか?」村人に尋ねました。
「大きいのが親で小さいなが子だよ。」と答えがありました。
では、小さいのは、いつ大きくなるのですか?」と尋ねると、
「そりゃあ、親が倒れた時だよ!」との答えでした。
その故人の息子さんは、まさにその通りでした。
お父さんは、社会的にも信頼さるしっかりした方でした。
その影で息子さんは、じっと力を貯えておられたのでした。
子供は若い頃、反抗したり失敗したり、親はとても心配しますが知らない内に成長しています。
その成長を親は受け入れられずに、子供に負けたくないと、摩擦が生まれることも有ります。
生きているうちに、どこかのタイミングで、お互いを敬意を持って接する事が出来ると、仕合わせな事だと、私は思ったのでした。
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