あきらめたダメですか?
いつものように、読経のあと、お茶をいただきながらお話させていただいていました。
なんでもご主人が、歳を重ねるごとに、わがままなってこられたとのこと。
「私は主人の為に、これまですっと尽くしてきました。三度の食事、洗濯、掃除などなど、私には少しの感謝もありません。それどころか益々要求が増えるばかりです。もう主人の要求に応えることができません。生きていくのがとても辛いです。」
と話されました。
お釈迦様は、愚痴には答えておられません。
愚痴は言うだけで、言えばすっきりするものだと、私は教えられていました。
それで私は共感しながらも、親身には聞いていませんでした。
ところが最後に、「あきらめたダメですか?」と問われました。
「あきらめる」とはどういう意味なのだろうか。
フッと私は、もう死んでしまいたと言っておられるのかと、私の心が揺れました。
「あきらめて良いです」とも、「あきらめたらダメです」とも、私は答える事ができません。
私は無言になりました。
その後、コロナ禍もあって、お参りは途絶えています。
どうされているのかと、時々思い出しています。
どうすれば良いか、迷って判断ができない時には、保留にするのが良いのではないかと思います。
物事は成るように成っていく。
「正しい」とは、一旦止まるという字なのだと教えられました。
怪我をして、消毒をして身体に良くないものか取り除かれれば、あとは自分の身体が自然に治してくれます。
自分の身がどうしたいのか、そこに自分の心を傾けていくと良いのではないかと私は振り返っています。
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