感謝の心
そこは車がすれ違うには狭い道でした。
私が出ようとすると急いでおられるのか、
軽自動車がかなりのスピードですり抜けていきました。
私はしばらく運転し角を曲がると、溝に脱輪してる車がありました。
先程の軽自動車です。
私は衣姿でした。
溝に足を落として、後ろから持ち上げると、衣類が汚れてしまうことを一瞬考えました。
そうも言っておれず、車を降りて助けてあげる事にしました。
運転手と呼吸を合わせると、意外と簡単に溝から脱出することが出来ました。
さすがに軽自動車は、軽く感じました。
車はそのまま、何事も無かったように走り去りました。
私が20代の頃、北海道のお寺でお参りのお手伝いをしていました。
その郊外の町は、道路が300メートル間隔になっていました。
道路には地形からか起伏が多く有り、当時は舗装がされていませんでした。
雨が降った次の日、私はその道を車で走っていました。
乾いているように見えた道は、実はぬかるんでいたので
タイヤが空回りしだんだん減速し、車はぬかるみから脱出できなくなりました。
そこで牽引をお願いしようと、遠くに見えるお宅に歩いて向かいました。
そのお家の男性は、「ごめんね、洗車したところなんだわ!」と
私のお願いは、にべもなく断られてしまいました。
私はとても落胆すると、その方から、隣りに行くように勧められました。
隣りといっても200メートルくらい有ります。
やっと辿り着き、お願いすると、今度は心良く私の車を引き上げてくださいました。
私はとても感謝の気持ちが起こり、お礼をしました。
先程の軽自動車と結果は同じでも、そこまでのプロセスの違いで、
感謝の気持ちは差があるように思いました。
私たちはしあわせになりたいと思っています。
その「しあわせ」という結果もプロセスが違うと、
感謝の気持ちに差があるように感じました。