金魚は見られる為に生まれてきたのよ!
以前学習会での座談会でのこと、 出席者の1人が、
「私の孫が、金魚を飼いたいとおねだりして買ってあげたのに、
最近は見向きもしないので、金魚さんは見られる為に生まれてきたのよ、
もっと見てあげてねと、孫に言いました。」と発言されました。
私はその発言を聞いて、身体がビクッとして、とても違和感が有りました。
何か違うと思いながら、私の気持ちを、その方に伝える事ができませんでした。
以前テレホン相談で、相談者は、自分の一番辛い経験を話されました。
もう70歳くらいの方でした。
「父親が亡くなって、親の日記を読むことが有りました。
私の生まれた時の事です。
父親は、
『子供が生まれて、お国の為に命を捧げてお役に立てる事ができる。
とても嬉しい事です。』と綴られていた。
それを読んで私は、自分が誕生した事が、そんな喜ばれ方だったのか、
私の幸せなど、どうでもよかったんだと、今もとても辛い気持ちです。」
と私に伝えられました。
それを聞いて私も思い当たる事が有りました。
私が小学生の頃、障がい者の兄は通信大学に行ってました。
スクーリングで夏休みに大学に行かなければなりません。
私は車椅子で兄を教室まで連れて、私も部屋の中に入って
授業中、夏休みの宿題をしていました。
教授から「どんな勉強をしてるの?」と
小学生がいるのが珍しく思われたのか、
私に声をかけられました。
私は、車椅子の使い方を誰に教えられたわけでもなかったし、
普通の気持ちで兄の大学に一緒に行っていました。
ある日、兄弟ケンカをする事がありました。
理由は覚えていません。その時に親に言われました。
「お前は、兄が障がい者でなければ生まれて来なかった、
お前は兄の世話をする為に生まれてきたんや!」と。
その金魚の気持ちはどうだったのだろうか。
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